代表の嶋田が、駆け出しの建築家だった頃、突然に故郷の商店街から舞い込んだ相談。手探りでありながら、建物のハード面からのアプローチではなく、人が集いコミュニティを形成する場としてのソフト面のアプローチも入れた「kokura mercato 計画」を提案。オーナー梯さんからの「できるかわからないけれど、面白いからやってみよう」の一言で、小倉の市内を奔走することに。たったひとつの企画書に、徐々に賛同者が集まり始めました。さて、kokura mercato 計画は、どうなるのでしょうか!?
熱量のある場所に人が集まり、渦ができる。
リノベーションスクールの様子
嶋田:九州工業大学や西日本工業大学の教員に、地元の若い建築家やスタイリストなど紹介してもらったり、TwitterなどのSNS でも「使いたい人いませんか?」と投稿したり(笑)、精力的に関わってくれる人を探していました。そうすると、6〜7人位、興味がある人が現れたんです。
ー まだ、正式な公募前なのに!
嶋田:公募前に興味を持ってくれた人には、優先価格でご案内するから!と。
ーすごいですね(笑)。やはり施工前に、テナントさんの目処が立つのは有り難いですよね。
嶋田:当時は意識していませんでしたが、リノベーションプロジェクトの王道プロセスですね。建物の施工に投資する前に、損益分岐点まで入居を決めておきます。
梯さん:そこで入居希望の方々と面接をして、若手でやる気があり魅力的な方ばかりだったので、契約をして、そこから工事を始めました。
嶋田:面接の時に、入居したらやりたいことを、企画書として持ってきてもらって。
東京の大手ディベロッパーとか、大きな再開発の時には、そういうことやるのですが、この規模では珍しいですよね。(笑)
ー 面白いプロジェクトには、面白い方が集まりますね。
「まちの活動に参加する」ことが、入居条件
嶋田:想いのある人たちが集まってくれたので、梯さんも安心してくれて。
商店街に若い人が減って町内の活動がままならないという話は聞いてたので、家賃を安くするなら、まちの活動に意欲的に参加してくれる人にしましょうと話してたんです。
梯:入居者の条件に入れましたね。
嶋田:契約書の条件に「まちの活動に参加してくれる方」と記載したんです。それを梯さんに話したら、いいね、と言ってくれて。
2015年、小倉祇園太鼓
2012年、小倉祇園太鼓
梯:子どもや若い人が少なくなってきて、もうお祭りをやめてしまおうかと町内で始めていた時期ですから。kokura mercato 計画がスタートしてから、若い人たちが準備から片付けまで積極的に参加してくれます。さらに後には、若い方々が結婚して子どもも増えました。お祭りが、昔のように沢山の子どもたちに溢れて行えるのが嬉しいです。
ー へぇ。すごいですね!入居者にはどのような方が多かったのですか?
梯:カフェや、お花屋さんをやりたい方とか、それぞれの想いを持って起業したい人が沢山いて。
嶋田:北九州家守舎というまちづくり会社を一緒に経営している遠矢さんと初めて出会ったのもこの取り組みの流れで。僕の高校の同級生が紹介してくれたり、遠矢さんが紹介してくれたり。沢山の方が力を貸してくれて。
ー 最初からまちに関わりたいという方が、参加してくれたのでしょうか?
嶋田:まちに関わりたいかどうかもありますが、当時の若い方のニーズに合致したのだと思います。雰囲気がある古い建物をむしろリノベーションで、身の丈に合った家賃で、仲間たちと切磋琢磨できる環境を求めていたのでしょうね。僕の予想を遥かに超えてスムーズにいきました。
ただ、その後で気づいたんですが、家賃を安くしすぎて、提案に対しての収入見込みが足りなくなるって。
提案してた工事内容をほとんど削りましたね。そういう失敗も重ねながら。(笑)
梯さん:5年で投資回収する計画で、その範囲の投資金額で工事してほしいと。
嶋田:最後は床のタイルをどうするかまで話し合いましたね。(笑)
入居者同士で繋がるコミュニティ「メルカート会」発足
ー オープンしてからはいかがでしたか?
嶋田:まず、入居者たちのコミュニティづくりが大切だと思って、完成する前から、入居を決めた方と梯さんとの飲み会を開催したり、入居した後に、どうやってメルカート全体として発信していくかを相談したり。「メルカート会」という自治会をつくっていました。
そうしたら今後メルカートをどのように再生していくか、コンサルティング契約を梯さんが結んでくれました。一時だけの施工ではなく、ずっと関われるような関係性を築いてくれました。
ー そういった契約は、建築家としてあることですか?
嶋田:あまり聞いたことがないですね。
でも、梯さんが、継続的な関係性を築いてくれたので。
2015年 魚町サンロード
2015年 魚町サンロード
その後は、段階的に、他のフロアをどんどんリノベーションしていって、中屋ビルが面している裏通りのサンロードという商店街の老朽化したアーケードを撤去する工事など、同時多発的にプロジェクトが動き始めます。
それもこういう関わり方をさせてもらえたおかげで、毎月のように北九州に行っていました。
ー 面白いですね。建築家は、通常は建てて業務が終了で、その後どうなっているのかわからないですが、ずっと関わっていけるのは良いですね。
嶋田:ビルの運営をどうするか、当時よく相談していましたね。
梯さん:凄い勢いでいろんなことが動いていましたね。
(vol.3 につづく)
Text by Motomi Matsumoto