2024.09.20
VOICE
リフォームからリノベーションへ。遊休不動産はまちづくりの宝物ーー山口県下関市、民間で進むリノベーションまちづくりvol.1

対談  橋本千嘉子(上原不動産取締役 兼 株式会社ARCH代表取締役)×嶋田洋平(らいおん建築事務所)

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らいおん建築事務所は、2021年度から山口県下関市のリノベーションまちづくりに取り組んできました。下関市の行政の皆さんと進めて実現したまちづくりについては、4月12日にアップしたVOICEに掲載されていますが、今日は民間で広がっているリノベーションまちづくりについて株式会社上原不動産取締役兼、株式会社ARCH代表取締役の橋本千嘉子さんにお話を伺っていきます。橋本さんは下関市で、実家である上原不動産で不動産事業に携わりながら、個人でも不動産を借り上げ、リフォームして貸し出す賃貸事業を20年ほど行ってきました。そんな中、2021(令和3)年12月の「リノベーションまちづくりウォーカー」、2022(令和4)年3月の下関市「リノベーションまちづくり」セミナー、2022(令和4)年4-9月の次世代まちづくりスクールへの参加をきっかけに、空き家(遊休不動産)を魅力的に活用できれば、さまざまなことができると可能性が広がると認識されたそうです。その後、下関市で5カ所3拠点(ARCH茶山、ARCH豊前田、ARCH幸町)を具現化していますが、つい最近の2024年3月、ご実家の不動産会社を退職し、ご自身の会社を立ち上げて遊休不動産の再生や利活用に本格的に乗り出していく決意をされたそうです。

今日は橋本さんに、活動に対する具体的な思いや、実際に手がけた3つの場所について、そして今後の展望についてをお聞きしていきます。

 

 

ーーリノベーションまちづくりとの出会いで変わった不動産事業への価値観

嶋田 僕が橋本さんと初めてお会いしたのは、2022年の春先、下関市役所の皆さんが大丸旅館という宿泊施設をコワーキングルームやシェアハウス、ゲストハウスなどのコンプレックス施設にリノベーションした「Bridge」のオープニングの時だったと思います。ただその前から橋本さんの活動は下関市のさまざまな方から伺っていてとても興味を持っていました。

橋本さんのご実家は下関市で長い間不動産業を営まれていて、ご自身もそこでお仕事をされてきたので、不動産事業そのものの収益構造や、賃貸業についての知識はお持ちだったと思います。そこからどのようにまちの遊休不動産の再生活用という展開へと動いていったのでしょうか。ご自身のプロフィールとARCHを立ち上げた経緯について教えてください。

 

橋本 私が嶋田さんを初めて知ったのは、2021(令和3)年12月に行われた「リノベーションまちづくりウォーカー」の場でした。その時はスペシャルゲストとしていらしていて、オープニング講演でお話を聞きました。

ご紹介いただいたように、私の実家は創業40年以上になる下関市の不動産屋で、不動産業、主には不動産賃貸業を営んでいます。私は東京のデザイン学校を卒業してから下関市に戻って家業を手伝い、不動産業を20年近く行っていたのですが、不動産仲介を行ったり、賃貸業を行うこと以外に何かできるとは考えたこともなくて、仕事を淡々とこなす日々を送っていました。個人的には会社の仕事とは別にライフワークとして空室の多いアパートを買って部屋をリフォームして貸し出す事業を独自にやっていました。2、3年おきに買ってリフォームしては貸し出し、少しずつ棟数を増やしていましたが、そこで他のアクションを起こすことなど考えたこともありませんでした。

20年という間に下関のまちはだんだん衰退し、商店街には空き店舗が目立ち、空き家も増え、賑わいが失われる状況となっていきました。独身の時はそれほど気になっていなかったのですが、結婚して子どもができ、ある時まちの様子を振り返って、元気を失っている状況に不安に感じたんです。そういったタイミングでたまたままちづくりに関するイベントや講演会に参加する機会がありました。ひとつは2021(令和3)年12月21日に開催された「リノベーションまちづくりウォーカー」。知り合いだった創業支援カフェKARASTA(カラスタ)の北尾洋二さんもお話しされると聞き、下関市唐戸でのまち歩きに参加しました。

そしてその時こんなボロボロになってしまった建物でも見に来る人がいるんだなと衝撃を受けたんです。下関市民もたくさん参加していて、空き家になった建物を見ていろんな意見を口々に話していました。空き家も何かよい活用方法を見つけてあげることができれば、まちは元気になるんだなと。そう考えると、下関には店舗のシャッターが閉まっている商店街やそれ以外にも遊休不動産はたくさんあるのは知っていたので、それらは宝の山なんじゃないのかなと思うようになりました。

その後の2022(令和4)年3月には「小倉・魚町から学ぶ リノベーションまちづくり」にも参加し、下関市岬之町のコーエービルで北九州市魚町商店街振興組合理事長で中屋ビルオーナーの梯輝元さんのお話を聞きました。

そしてさらにその後、不動産業界の全国宅地建物取引業協会連合会から「次世代まちづくりスクール(令和4年の4月から9月まで)」のセミナーのお知らせがあり、自分がやりたいことが朧げに見え始めたので参加することにしたんです。

自分が抱えている漠然とした不安に何かできないかと思い参加したまちづくりのイベントやセミナーでしたが、参加してみて不動産に関わる自分ができることの可能性を感じることができました! 自分にできることをやってみたいと動き出すことにしたんです。

 

嶋田 なるほど、橋本さんはもともとご実家の家業として不動産賃貸事業をなさっていたので、事業構築自体はできていらっしゃったんですね。でも多分、リノベーションまちづくりに出会うまでは、単にリフォームして貸し出す、そういったビジネスモデルしかないと思っていらしたのではないでしょうか。

その場所のニーズを読み取り、人に必要とされるリノベーションを行うことで、まちにできることの可能性が生み出せると知ってご自身の事業のあり方が変化したということですね。

 

橋本 はい、そうなんです。リノベーションまちづくりやまちづくりスクールに参加して自分が全然知らなかったことを知れたことで、視野が大きく広がりました。人との繋がりも同様です。梯輝元さんのお話を聞きに行った時、下関市役所の平山慎一郎さんにお会いしたこともいろいろと考えることができるようになった大きなきっかけとなりました。

 

橋本 2022年の4月から9月まで「次世代まちづくりスクール」で学ぶ間、春に「Bridge」が開業し、平山さんからオープニングに誘っていただきました。現地を見に行ってみると、そこのゲストハウスの一室を借りて、エステや占い、小商をしている人がすでにいて、皆さん生き生きとしていらっしゃいました。そういう何かをやりたい人たちが下関にいて、居場所を探しているんだなとあの時に初めて知りました。

この時に思ったんです。こういった皆さんは不動産屋さんにはいらっしゃらないだろうなと。もしいらしたとしても、不動産屋さんの方でお役に立てないと断ってしまうのではないかなと。でもこういう何かをやりたいと思っている人たちと、使われていない空き家をマッチングができたら、少しずつまちが元気になっていくんじゃないか。幸せな人が増えるんじゃないか。それがこれから私がやるべき不動産屋としての使命なのではないか、いろいろモヤモヤとしていたことが、一気にクリアになった気がしました。

⦅BRIDGE エステ店舗写真⦆

嶋田 実際にさまざまな場所のリノベーションまちづくりも見に行かれたのでしょうか?

 

橋本 はい、行きました。次世代まちづくりスクールに参加した時、吉原勝己さん(不動産オーナー)とチームネットの甲斐徹郎さんのゼミで共感不動産とコミュニティデザインについて実際の事例と言語化された理論を学んだのですが、その際に吉原勝己さんの「冷泉荘」や、福岡・久留米で活動しているリノベ兄弟と呼ばれている半田啓祐さんと満さんが手がけたアパート「HandA Apartment」「コーポ江戸屋敷」を見に行きました。そこを拠点にマルシェやまち歩きなどのイベントを仕掛けるほか、団地のマネジメントやシェアオフィス運営など、市内の広範囲に活躍の場を広げていて、不動産再生を行っていらしたのですが、住居でカフェをしたり、団地の一室にお店が入っていたり、入り口が玄関からではなくてバルコニーから入れるようにしていました。その様子がとても魅力的で衝撃を受けました。

私も空室改善をずっと考えながら仕事をしていたのですが、その時にいつも漠然とただ住居としてリフォームし、生活がしやすくするだけでずっとここに住みたいと思ってもらえるのかな? と思っていたんです。

半田さんたちのアパートを見た時、ただただ楽しそうだなと思って、そういう物件を自分でも手がけてみたいと思いました。

いろいろと悩んでいた中で、少し世界を広げることで何をしたらよいかが見えるようになってきたんです。自分自身が疑問を感じていた、「こうしたほうがよいんじゃないか」という目線を入れていきたいマインドが根底にあり、さまざまな情報に触れて、やってみることへの自信を持てたように思います。

上原不動産ではそういった発想がなかなか受け入れられなかったのですが、とにかく自分でやってみて結果を出すしかないなと思いました。さまざまな地域で皆さんが取り組んでいる姿を見て、勇気をいただいたんです。

 

嶋田 リノベーションまちづくりを見に行かれて、考え方が変わられたんですね。もともと橋本さんは不動産業に携わられていて、不動産オーナーの立場でもあったと思いますが、オーナーさんたちはテナントや住戸も場所さえ貸せる状態にすれば誰かが借りてくれると思っていることが多いですよね。でも人口が減ってしまったり、まちそのものが衰退している中ではそれではなかなか借り手が見つからない。

 

橋本 そうですね。テナントは借りたい人が何かするものと思っていましたし、おっしゃるように今もそう思っているオーナーさんがほとんどだと思います。

 

嶋田 でもそれだと立ち行かなくなっているので、新しい貸し方、借り方をつくっていかなければ不動産事業は変わらないですよね。橋本さんはそこにチャレンジされようとしている。そこに共感しました。