2024.04.12
VOICE
官民連携で臨む、たくさんの人が未来に関わるまちづくりー栃木県小山市、まちづくりビジョン「PLAN OYAMA(プランオヤマ)」に託す人びとの想いVol.1

座談会  

PLANOYAMAプラットフォーム(POP)   阿久津治(阿久津産業(株)代表取締役) ×飯野佳昭((株)グレイド代表)×小林千恵(ピクニックマルシェ実行委員会)×福本佳之((株)Vi Pass代表取締役)×渡邉正道(友井タクシー有限会社専務取締役) 

小山市市役所  渡邊賢二(まちづくり推進課まちなか再生推進係長)×中村英慈(まちづくり推進課まちなか再生推進係)×田中雅人(まちづくり推進課まちなか再生推進係)×高弥(まちづくり推進課長)×須郷幹雄(都市整備部長) 

聞き手  嶋田洋平(らいおん建築事務所)

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栃木県小山市は栃木県南部に位置し、人口は県内で2番目に多い16万7千人の都市です。旧日光街道の宿場町として栄え、現在の小山駅周辺を中心に発展してきました。小山駅は新幹線が停車し、東京まで約40分でアクセスできるほか、宇都宮線・水戸線・両毛線が交わり、加えて、道路交通は国道4号、新4号国道、国道50号といった広域幹線道路が通る、交通の要衝になっています。しかし、昨今は車社会の進展に伴うドーナツ化現象が起き、中心市街地は元気をなくしています。

市街地再開発や自由通路の整備などを中心に個別にまちづくりが進められてきましたが、2020年に市長となった浅野正富さんは、小山駅周辺エリア全体の方向性を示すエリアビジョンを描き、そこに向けて官民が連携してまちづくりを進めていく方針を打ち出しました。そこで作成されたのが、小山駅周辺エリアが30年後までに目指す姿を取りまとめたPLAN OYAMA(プランオヤマ)です。民間の長期まちづくりビジョンであり、民間(企業、団体、市民、通勤・通学者など)と行政(小山市)が共通のビジョンのもとで“自分ごと”としてまちづくりに取り組むための指針でもあります。

行政計画への位置付けではないものの、公共事業や民間事業の種として、まちに対する想いを仲間と共有するツールとしてPLANOYAMAは2023年5月に小山市から発表されました。嶋田はPLAN OYAMA策定にあたり、アドバイザーとして参画しています。

行政と民間が連携してまちの未来を本気で、ガチんこで議論し続けている、小山市の皆さんにお話を伺います。

ーー子どもから大人まで、みんなの思いをかたちに PLAN OYAMA(プランオヤマ)

嶋田 皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。今日は、小山市で進んでいるまちづくりについて、小山市役所の皆さんと小山市で活動している民間の皆さんと去年2023年5月にみんなでまとめ、小山市から発表されたPLAN OYAMAについてお話をしていきたいと思います。

僕と小山市の関わりについてですが、国土交通省から小山市に出向されていた淺見(アザミ)さんが北九州市小倉のまちづくりをご覧になり、その後小山市役所の方たちと一緒に僕に会いにいらして、小山市でリノベーションまちづくりを少しずつ始めていました。それが2019年頃だったと思います。当時の小山市は再開発が活発に進んでいたのですが、その後市長選があり、新たに市長となった浅野さんは小山市にまちの将来ビジョンが必要だというお考えを持っておられて、小山駅周辺のビジョン、プランをつくるプロポーザルが開催され、僕も参加しました。僕たちの提案が通って2年間の事業として取り組むことになったのです。山崎満広さんや地元のコンサルタントの方たちと一緒にプラン策定のために2年間さまざまなことをやりました。1年目は市長や市役所の皆さんからとにかくたくさんの市民の声を聞きたいという要望があったので、今日お集まりの民間の皆さんにもご協力をいただき、小学校などを通してお母さんたちにもアンケートを行いました。今の小山市に思っていることや将来のイメージについてなど、アンケートをしっかりと設計してできるだけたくさんの意見を集めたのです。それから幅広い世代の人に参加してもらえるワークショップも2日間かけて開催しました。

その後は、たくさん集まった意見を基にまちのイメージをビジュアルで表現し、視覚化する作業をしました。皆さんの思いをどのように集約するのか、具体的にまちをいくつかのエリアに分けて、それぞれの場所がどのようになっていたらよいのか、アンケートが反映されたまちのイメージを作成し、委員会(現、PLAN OYAMAプラットフォーム、以下、P.O.P.)の皆さんの意見を聞いたりして場所の位置付けを整理していきました。

PLAN OYAMAは、必ずしもこれでつくりますという計画としてではなく、皆さんと目指していくまちのあり方を共有するツールとして小山市から発表されました。

また、PLAN OYAMAを策定するにあたって集まっていた皆さんは、P.O.P.として組織され、引き続きこのプランを先導する役割を担い活動してくださっています。

 

 

まずはこのPLAN OYAMA策定に関わった皆さんの自己紹介と、2年前に駅前のまちづくりプランをつくることが小山市から発表された際、委員メンバー参加への打診を受けた皆さんがどのような思いを持っていらしたかお聞きしたいと思います。期待したことや当時の思いも教えてください。

ではまず、P.O.P.のメンバーの皆さんからお願いします。

一同 よろしくお願いします。

渡邉(P) 私はP.O.P.の代表を務めています。私が所属している友井タクシーは、小山市の「おーバス」という路線バスの運行やタクシー業務を行っており、小山駅西口の地権者でもあり再開発のお話にも参加していました。小山駅を中心として車や人のあり方を見直しながら、暮らしやすいまちを考えていくのが自分の役割だと思い参加しています。もともとは西口再開発の関係でまちづくりに参加していたのですが、自分自身の住まいが小山ではなく隣の栃木市で、新幹線が停まる駅の顔となるロータリー周辺はとても重要な場所だと思っていました。特に小山駅は東京から来ると栃木の玄関口ですが、駅を挟んで西口も東口も玄関口と誇れるような場所とはなっておらず、往来する人間にとって楽しい場所でも便利な場所でもないと感じていました。なので、利便性がよく、かつ公共交通が人に優しい。そんな駅前にしたいと思っておりその気持ちは今でもあります。

嶋田 その思いはPLAN OYAMAに反映されたのでしょうか?

 

渡邉(P)  現在の小山駅東口のロータリーは一般車両が優先されて駅の近くに車が停車できるのですが、一方で路線バスは離れたところに停車するかたちになっています。私はそれぞれの停車場所は逆にした方がよいと以前から思っていて、公共交通を駅のいちばん近いところに停めるようにずっと提案していました。PLAN OYAMAの中にまちでこれから進めていく計画をすべて書き出し、優先度・実現性が高いと認められた順番に並べている「EvolvingGoalsを達成する111のプロジェクト」という頁があるのですが、ロータリーの計画は優先度が高いグループ1の2番目に掲載されています。長年の思いをぜひ達成したいと思っています。

小林 私はP.O.P.の副代表をしています。元々は「小山市まちの駅 思季彩館」で働いていて、そこで小山駅西口を盛り上げようという活動に関わったのがきっかけでまちづくりに興味を持つようになりました。今は独立してP.O.P.に携わり、イベントをメインに活動しています。

少し前までは主婦業だけやっていて、小山市で生まれ育ったわけではないのでそれほど小山に愛着も感じていなかったのですが、働き始めてから娘がお母さんがまちの駅で働いていることが自慢だと言ってくれたことがあり、理由を聞いたら、お母さんがそこで働いているから小山市のまちのイベントやお祭りの情報を知れて、お友達と参加することができると。それを聞いた時に娘にとっては地元なんだなと思い、私も何かやろうと思って動き始めました。自分で動いてみると情報も入ってくるようになるし、動いたことによってチャンスも生まれ、さまざまな出会いも増えました。自分の経験から主婦でもまちづくりに参加できると分かったので、そんな人を増やせたらという気持ちで今回参加しました。

嶋田 P.O.P.に参加されてみてどうでしたか?

小林 楽しいです。まちの風景や人の反応など、日常の中で変化を感じられることが多く、時間はかかると思いますが、小山の姿が少しずつ変わっていくことを私自身が楽しみながら日々を過ごしています。

嶋田 具体的に何がいちばん変わったと思いますか?

小林 私の中では行政との関わり方がいちばん変わりました。市役所にこんなにいろいろ考えている方たちがいることを知らなかったです。実際にお会いして本当にさまざまな話をして、行政の皆さんが何をしているのか初めて理解しました。

それぞれに理解し合える場を持てたことは、よい状況を生み出していくのではないかなと思います。

嶋田 はい。僕も各地でたくさんの自治体の皆さんとお会いしてお仕事をしてきましたが、こんなに民間の皆さんと近い行政は珍しいなと思って拝見していました。その関係性が素晴らしいなと思います。

飯野さん、福本さん、阿久津さん、自己紹介をお願いします。

飯野 私は建築関係の仕事を主にやっていますが、その中でまちづくりやイベントを小山市役所さんとご一緒してきた経緯があり今回メンバーとして参加させていただきました。

実際にまちと関わっていると、市民・企業・行政の連携なくしてはまちの未来は実現しないと実感します。たくさんの方にまちづくりに関心を持っていただき、小山の賑わいを取り戻したいと思っています。

福本 私は小山市で学習塾と学童保育所を経営しており、商工会議所の関係からまちづくりに関わることになりました。住まいは小山市ではないのですが、地元ではない視点からまちを俯瞰することができるのも私の強みかなと思っています。

PLAN OYAMAの話が立ち上がったのは商工会議所青年部の会長を担当していた時です。自治体主導のまちづくりでは充て職が多く、それがすべて悪いとは思いませんが、往々にしてかたちだけになってしまっています。私はそれだと本当の意味でまちがよくはならないという思いを抱いていました。なので委員会の話をお聞きした時は、引き受けるからには本音で本質に迫り、まちを思う人たちが納得できる計画にしたいと思っていました。

まちをどうしたいというよりは、会議そのもの、PLAN OYAMA自体を実のあるものにしなければいけないと思って参加しました。

嶋田 福本さんが実のあるものにするために重要視されたのはどういった点ですか?

福本 われわれ民間と行政側である市役所の皆さん、また、民間の人たちでも立場の違う人たちがとにかく本音で腹を割って話せることが大切だと思っていました。それぞれに立場があるなら、そこを明確にしながら対話をすることです。

嶋田 それはできましたか?

福本 はい。最後は殴り合いになるんじゃないかと思うぐらい。笑 誰か頑張っている人を後ろ指差して文句をいうようなまちはいちばん良くありません。意見があるなら大きな波紋を生んでもネガティブなことも含めて表に出して話をすることが大事です。そうやってまちの問題を浮き彫りにしていかないと本質には迫れないと思いながらやっていました。

阿久津 議論は本当にたくさんしました。私の場合は小山市で育っており、駅前にビルを所有して不動産賃貸業や薬局をやっているので、地域に密着して仕事をしています。なので小山のまちづくりは自分自身の生活とリンクしているんです。これから自分も住み続ける小山のまちに何かしたい思いを持っていました。PLAN OYAMAの策定に参加し、少しでも多くの小山の方達にこの活動を伝える行動をしていきたいとプラットフォームにも参加しました。

嶋田 P.O.P.の皆さん、ありがとうございます。では、小山市役所の皆さんお願いします。

須郷 小山市の都市整備部長を務めています。小山市のまちづくりに4年ほど携わっており、小山駅周辺のまちのあり方について問題意識を持っており、小山駅周辺のまちの将来像を考える取り組みに力を入れてきました。

中村 私もまちづくり推進課でPLAN OYAMAをつくることになってからまちづくりに関わることになりました。小山市に住んでいますが、まちなかとは少し外れたところに住んでいるので、住んでいる方とは違う視点でまちづくりを考えていけたらと思っています。

渡邊(C) 私はまちづくり推進課で最初からこのプロジェクトに関わっています。PLAN OYAMAを策定するにあたり気をつけたのは、行政計画に位置付けをしない言わば民間計画なので、今までのような行政主導の計画とならないようにすることでした。今回の取り組みでは民間主導でさまざまな決定を行うこと、そしてできるだけ市民の意見をたくさん取り入れた計画にすることを目指しました。今までの行政然としたプランでないためハレーションが起きることは覚悟しましたが、それゆえに話題性もあり皆さんがある程度同じ方向を向いてまちづくりを考えていけるひとつの道筋をつくれたのではないかなと思っています。

嶋田 市役所の田中さんも最初から関わられていたと思うのですが、いかがですか?

田中 私もまちづくり推進課で最初からこのプロジェクトに関わっています。子育て世代にとって楽しいまちづくりをしたいと思っていますが、このプロジェクトが始まる前から、小山駅周辺には「こういう街にしていこう」という方針がなく、まちの再開発やそれまで行われてきた事業はどこか場当たり的なものに感じていました。これは一体何のためにやっているんだろうという疑問を抱えながらまちづくりに関わっていたのですが、そういった中で現市長が駅周辺のプランが必要だと明言してくださり、PLAN OYAMAの策定に関われることになったのはとても嬉しかったです。つくるならよいものにしたい気持ちを強く持って関わっています。

photo by megumi tange, text by mitsue Nakamura