2024.01.19
VOICE
「こんなことができる」をかたちに。下関市役所が取り組む下関界隈の再生ーー山口県下関市リノベーションまちづくりVol.2

対談  松本勇弥(下関市役所)×平山慎一郎(下関市役所)×嶋田洋平(らいおん建築事務所)

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ーー大命題、スタートプロジェクトとしての「大丸旅館(現・Bridge」リノベーションを実現する

嶋田 松本さんや当時の担当者であった林さんに、不動産オーナーや場所を使って活動してくれるプレイヤーとなってくれそうな人の情報をヒアリングしていると、不動産オーナーで面白い方がいたり、すでに面白い活動をされている方が何人かいることがわかりました。

そういったプレイヤーを把握してから、リノベーションまちづくりは初めのインパクトが重要なので、1、2年でリーディングプロジェクト的な場所を実現することを目指すことにしました。そのプロジェクトとして白羽の矢が立ったのが2017年から空き家となっている築約60年の木造2階建て「大丸旅館」の改修です。

この建物のオーナーは沖縄在住の木村智史さんですが、木村さんとの出会いもリノベーションまちづくりのタイミングとマッチしましたよね。

松本  そうですね。「大丸旅館」を託していただいた家主兼オーナーの木村智史さんは、奈良県出身で、20代の時に沖縄に移住していらっしゃいました。東京での飲食店経営やイベント制作、出版業などを経験し、住む場所を変えながらやりたいことにどんどんチャレンジされ、縁があってこの「大丸旅館」を譲ってもらったそうです。現在は沖縄と下関の2拠点で活動しています。

当時は下関に何も縁がないにも関わらず「大丸旅館」を引き受けてしまい、何かをやりたいという思いで下関市での人脈をつくりたいと思っていらしたんです。たまたま僕が高校時代に仲が良かった友人が東京で木村さんと知り合っていて、二人が「大丸旅館」も見たいし飲もうよということになって下関に来た時に僕も誘ってもらったことが木村さんとの初めての出会いです。

実際に「大丸旅館」を訪れた時は「でかいな」という印象でしたが、木村さん自体がとても面白い人だったので、下関に帰ってくる度に朝まで二人で飲んだりして(30部屋もある巨大な施設に一人だと怖いと。笑)、あーでもないこーでもないと話をしていたのが2019年頃でした。

で、ちょうどその頃に嶋田さんと知り合い、僕もリノベーションまちづくりは下関市にぜったいハマる町の再生手法だと思ったので、木村さんに話をして「一緒にやろう!」ということになりました。

 

嶋田 とにかく、何か一つでも実例をつくりたかったので、いろいろなことをやっていましたよね。町歩きをして新たなプレイヤー候補になりそうな方と繋がりをつくったり、セミナーを開催して興味を持ってくれそうな方を集めるとか、そういう中で、松本さんのお友達などなんとなく関わってくれそうな人たちが出てき始めて。そんな中で「大丸旅館」という具体的な場所も登場したので、とにかくこれを実現させようと話が進み始めました。

「大丸旅館」については、オーナーの木村さんが沖縄にいらしたので、家守チームがいないと進まないだろうと思いました。なので、松本さんに「公務員だけど家守をやってください」と僕からお願いしました。

松本 僕は下関駅から車で10分ほどの彦島という場所に住んでいるのですが、その場所で独自にまちづくり活動をやるための任意団体を組んでいて、工務店経営者と建築士と僕の3人で活動していました。

嶋田さんからの提案を彼らに話し、一緒に家守として「大丸旅館」を手がけてみないかと言いました。それから、林さんと電気店経営者の二人に加わっていただき、5人でファイブスターという家守をつくって、リノベーションまちづくりのスタートとなる「大丸旅館」の再生に携わりました。

2019年の出会いから「大丸旅館」が「Bridge」として生まれ変わり完成したのが2022年でした。昔の旅館だった場所を1階はラウンジ、チャレンジルーム、コワーキングルーム、図書室、キッズルームなどに。2階は多国籍シェアハウス、ゲストハウスなどとして使う、ヒトとヒトを繋ぐ橋渡しをする家「Bridge」という場所として再生しています。

スタートプロジェクトとしてさまざまなことを具体化していくのに足掛け3年ほどかかりました。

 

嶋田 直接は関係ないのですが、この時期は同じようなタイミングで、僕は大丸下関店に「JOIN083」を手がけていましたし、下関市の事業では、大丸下関店の前の公共空間を魅力的な広場空間となるように社会実験をおこなったり、2022年の春先に開業した「Bridge」と併せて、町を活性化する場所づくりが一気に実を結んだ時期であったと思います。中でも「Bridge」はリノベーションまちづくりの第一号として、下関に一石を投じるプロジェクトとなりましたね。

 

松本 はい、とても大きなインパクトがあったと思います。嶋田さんが常々、「リノベーションてこういうことなんだ、というのを実例を持って皆さんに知っていただくのがいちばん早い」と話されていたので、とにかく実現したい気持ちでやっていましたが、紆余曲折があり、完成した時はほっとしました。

「Bridge」は下関駅に近く、かつ、下関市で課題となっている空家が多いエリアに位置しているので、以前の「大丸旅館」自体を知っている人はほとんどいないと思いますが、「Bridge」ができたことでエリア自体にも注目が集まっているように思います。町の人たちに「こんなことできるんだ」と感じてもらえたことを実感しましたし、「Bridge」を見に来てくださった人たちがリノベーションまちづくりに前向きになってくださっているのも肌で感じることができ、つくることの大切さややりがいを感動と共に体感しました。

 

嶋田 斜面地の少し丘の上に建っている30部屋ぐらいのお宿。築年数も経っていたので誰も気に留めていなかったんですね。それを地域に開く場所として、2階をゲストハウス、1階をみんなのコワーキングスペース的なサロンにしたのですから、インパクトはあったでしょうね。

開業することができてよかったのですが、できるまでに少し時間がかかり過ぎてヤキモキしました。とにかく松本さんたちの仕事が遅いんです。笑

松本 めちゃくちゃ怒られましたもんね。

 

嶋田 僕は今回はいろいろとアドバイスをする立場で話をしていましたが、話をしても一晩経つとネガティブになったりして、男5人集まって何やってだ? って感じでした。いろいろ事情があるんだろうなと察して待ちましたが、最後はさすがに痺れを切らして「何やってんだ!」と喝を入れました。笑 

 

松本 そうですね、動きが悪いとめちゃくちゃ怒られましたからね。でも嶋田さんに喝を入れていただいたことでオーナーの木村さんも腹を括って、クラウドファンディングを実行するなど具体的に動き出そうとしてくれたのですが、それでも僕らがモゴモゴしていたので、嶋田さんにぶち怒られました。

 

嶋田 開業してから1年ほど経っていますが、今どんな感じですか?

 

松本 「Bridge」は下関市に設けられた拠点活動支援補助金に家守チームファイブスターが手を挙げてその補助金を使いながらあとは自己資金でリノベーションしました。

正式にオープンしたのが2022年の4月で、1階部分はファイブスターで借りて、店子さんに貸したり、お世話をしたり、相談を受けるなど運営を任されているという状況です。現在は、店子さんがオーナーと直で契約をして借りるかたちになりつつあり、ファイブスターも家守としてゆるく関わっている状況です。

 

嶋田 もう少し世の中に知られてもよいプロジェクトだと思うんですよね。すごいことを実現できているのですから。

整理すれば、

・オーナーさんは遠隔地にいて、何かやりたいと思いながらもなかなか手が出せなかった物件を家守がいることでオーナーも腹を括って投資し、家守も自分たちで資金を出し、一部市の補助は入ったけれど、自己資金で場所を作りあげた。

・しっかりと回して投資した資金を回収した後に、オーナーには1階にお客様がついた状態で引き渡す。

・オーナーにとっては良い状況で運営を継続することができ、地域の人たちからはチャレンジする場所ができて喜ばれている。

人があまり行かなかった場所に人の出入りが生まれて地域そのものも活性化しているので、とてもすごいことだと思うのですが、下関市のPRであまり伝わっていない感じがするのが残念です。もう少し伝えていくことも頑張ってください!