2023.05.14
VOICE
文化財保護の未来と地域発信を見据えたリノベーション手法からーー泉佐野市さの町場「朝日湯」vol.1

対談  中岡勝(泉佐野市日本遺産推進担当理事兼文化財保護課課長)×嶋田洋平(らいおん建築事務所)

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大阪市と和歌山市のほぼ中間に位置する大阪府泉佐野市。海に面していることから江戸時代には北海道や日本海沿岸各地と大阪を結ぶ「北前船(きたまえぶね)」の寄港地として栄え、漁業や廻船業を営む豪商らの蔵が建ち並び「佐野浦」と呼ばれる港町として活況を呈していました。自然発生的に町場(さの町場)も生まれ、古い家並みと迷路のような街路が形成された特徴ある町の姿は、現在もその面影を残しています。町場の建物を含めた景観は2020年、日本遺産に認定されました。こうしたさの町場で、大正〜昭和初期に数多く建てられ、今保存・活用が注目されているのが「銭湯」です。「銭湯」を新たな街のシンボルとして再生活用し、これからのまちづくりに繋げていく。そこにはどういったストーリーがあるのか、リノベーションを担当した嶋田と泉佐野市文化財保護課の中岡勝理事がお話します。

 

ーー泉佐野市の海の町、「さの町場」に残る歴史的建造物の保存活用
嶋田:今日は僕が4年ほど前からまちづくりのお手伝いをさせていただている泉佐野市での最新プロジェクトである「朝日湯」という銭湯のリノベーションプロジェクトについて、経緯や今後の展望についてお話していきたいと思います。中岡さん、よろしくお願いします。
中岡:よろしくお願いします。
嶋田:まず「朝日湯」の話に入る前に、中岡さんの泉佐野市におけるお仕事について少しお話しいただけますか。
中岡:私は現在泉佐野市の文化財保護課という部署におります。文化財保護課の仕事は埋蔵文化財の発掘調査から文化財の保存活用まで多岐に渡ります。泉佐野市は山と海の歴史を持つ町です。

古代から中世にかけては九条家という貴族がつくった荘園(日根荘(ひねのしょう):1998(平成10)年に「日根荘遺跡」として国の史跡に指定)が存在し、今も残る農村景観の風景が文化的景観として有名です。中世以降は海に船団が出現し、五島列島の方まで行って漁をしていました。その人たちは豊臣秀吉が朝鮮に出る際に船団の補佐をしたとも言われています。

江戸時代には彼らの中から豪商が生まれ、その豪商たちが北前船を動かし、大阪の方で廻船問屋として商売していました。廻船問屋の商人を中心としてさまざまな職種の商売がたくさん集まって、漁村でも農村でもない、在郷町というのですが、自然発生的にできた町が今の泉佐野駅の海(北)側にある「さの町場」という場所になります。

泉佐野市は山から海まで縦のラインで各時代ごとに繁栄してきた歴史がありますが、豪商の町は没落も早く、残っているものが少ないのです。泉佐野市は海、沿岸部分の町場が大阪府の中でも貴重な残り方をしているので、それらをできるだけ後世に継承していくのが私の仕事のひとつでもあります。

最近、泉佐野市は歴史文化都市宣言を行い、これから文化や環境の発信を行っていこうとしていて、そういった中で歴史的建造物の活用をどのように進めていくか、さまざまなことと並行しながら動いています。

 

(泉佐野市朝日湯上空航空写真/撮影:中村晃)
嶋田:すごくたくさんのことを中岡さんが一手に担っているんですね。

中岡さんと僕の出会いは、泉佐野市が2019年に市が「バリュー・リノベーションズ・さの」を立ち上げるという時に、さの町場のリノベーションまちづくりをリードしてほしいという相談を受け、僕がアドバイザーを引き受けました。中岡さんの文化財保護の活動と並行して、商業系の部署がまちづくりを担う事業を行っていて、その担当者の方から連絡を受けて、リノベーションまちづくりを推進していたのです。この仕事をしていた2、3年後くらいに中岡さんと出会い、文化庁の事業で再生された「ふるさと町屋館」という古民家を拝見しました。

中岡さんは文化財を残すということをやりつつ、ただ保存して残すだけだと限界があることも感じていらして、リノベーションという手法を使って文化財を活用していくあり方を模索されていた時でした。

中岡:はい、そうですね。もともとさの町場の中には文化財保護課が整備した旧新川家住宅という、江戸時代中頃に醤油の小売販売をしていた「新川家」という建物があり、それを市が譲り受けて整備したのが、関西国際空港開港の次の年の1995(平成7)年頃だったと思います。

江戸時代の民家を見ていただくためにその保存を行いました。古い町並みが残る場所では建物の老朽化や住んでいる人の高齢化などから、空き家が増えてしまっていて、空き家対策を行う一環で関わっていたのです。さの町場と関わるようになり、町場に通る道の狭さや、建物の出入口が昔の地形と合わせたままになることでバラバラだったり、建物の密集具合や、迷路のような街路、さまざまな状況にこれからどうしていけるか頭を悩ませていました

また、いま泉佐野市ではこのさの町場にりんくうタウンと繋ぐ都市計画道路を通す計画があり、道路用地の買収と保存建物のバランスを考えていかないといけない。そんな局面でもありました。

 

中岡:今回、嶋田さんにはさの町場に大正〜昭和初期に建てられた「朝日湯」という銭湯をどのように活用できるかを考えてほしいとお願いしました。

「朝日湯」は木造平屋約212平方メートル。純和風な外観の建築物です。内部は浴室や浴槽には御影石が使われていて、天井はヴォールト型で高窓からの光も入り、明るい浴場です。昭和初期に流行した「和洋折衷」を取り入れた共同浴場でした。

地元で長年親しまれてきたのですが、1995年の阪神大震災で被災し、所有者も高齢ということもあり、廃業せざるを得なくなりました。それから使われることがなく、建物の老朽化が進む一方の状態だったのです。

一方で市民からは「歴史的価値を検証し、雰囲気のある建物を活用すべきだ」との声は絶えませんでした。そういった要望を受け、2022年、泉佐野市が所有者から「朝日湯」を賃借し、改修して利活用することを決めたのです。

嶋田:そうでしたね。でもその前にもうひとつ「大将軍湯(だいしょうぐんゆ)」という銭湯の改修も中岡さんの方で手がけられていらっしゃいましたよね? それはどういった経緯があったのでしょうか?

中岡:はい、そうなんです。実は「朝日湯」の方を進める前、さの町場にあるもうひとつの銭湯、「大将軍湯」の保存活用が先に進んでいました。「大将軍湯」も建物の老朽化が進み経営することができなくなり廃業していたのですが、この建物も木造2階建てで唐破風(からはふ)の玄関の設えとタイル貼りの塀が印象的な「昭和モダン」な建築物でした。詳しい時期はわかりませんが、残っている記録を見ると建てられたのは昭和11年頃。

吹き抜けの浴場は床や浴槽が花崗(かこう)岩で作られており、調べると当時にしては珍しい仕様でした。

泉佐野市では、さの町場周辺の町並みを観光に生かそうという戦略を立て、歴史的建造物の保存活用を目指す政策のもと、この「大将軍湯」の建物調査を2017(平成29)年度に行い、2018(平成30)年11月に国の登録有形文化財への登録を実現しました。

そして、同じ2018(平成30)年の12月に土地・建物を取得し、泉佐野市保存活用計画策定協議会を設置して、保存活用を目指すことになったのです。

令和3年度に策定された保存活用計画に基づき、現在は浴室の一方をカフェやビアバー、ラウンジに。もう一方を貸し風呂・足湯としてリニューアルし、2階の和室は着物の着付け教室や落語会などができる催し物スペースとして、市民に開放された場所にしていく計画が進んでいます。

(大将軍湯の既存外観写真 撮影:中村晃)

(大将軍湯の既存内観写真)

Text by Mitsue Nakamura